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    • 2013.11.07 Thursday
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    礼拝とは(訂正版)

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      はしがき

      教会の公同礼拝の問題
      なぜ・・・
      常習的遅刻者がいるのか。礼拝を平気で休むのか。讃美の時に声を出して歌わないのか。礼拝に祝福ばかり求めるのか。礼拝は説教(メッセージ)を聞く場と思っているのか。日曜礼拝と日々の生活とが断絶・分離したものとなっているのか、など。
      礼拝は日曜の公同礼拝をさすだけではなく、日々の神に捧げた生活を「礼拝生活」と呼んで、これも広義の礼拝と考えています。

      神は霊ですから、神を礼拝する者は霊とまこと(原意:真理)によって礼拝しなければなりません。(ヨハネ4章24節)
      あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ローマ12章1節)


      第一章 原語と意味

      1、原語(ギリシア語)
      新約聖書における礼拝を見ます。原語は三種類。
      動詞のプロスキュネオー。新改訳では「礼拝する」「拝する」「ひれ伏す」と訳されている。プロスは「〜の方へ」という意味。キュネオーは「キスする」。全体で「〜の方に口づけする」。敬意を表わす口づけで、新約で59回。そのうち黙示録に24回。この語は原則として超自然的存在に対する尊崇や礼拝を表わす。礼拝式の意味は無い。基本的には敬意を表わす行為を意味する。七十人訳ではイスラエルの神、真の神や偶像に対して尊崇を表わす「ひれ伏す」「拝む」という意味で使用。また御使い、支配者、予言者などに対しても「ひれ伏す」という時に使っている言葉。
      新約聖書では神様に対してのみ使う。神様への礼拝を表わす。個人的に神様を拝み、ひれ伏し、敬意を表わし生きる、という生き方で、儀式ではない。私達の日常の礼拝生活がこれ。神への尊崇。また公同礼拝の中においても本当に神様をおそれ、敬う、拝む、これがプロスキュネオーです。
      ヨハネ4:21−24  ここに出てくる「礼拝する」ということばがプロスキュネオー。
      クリスチャンの個人の本当の礼拝は、神様をおそれ、神様を敬う気持ちを表わす事。単に礼拝式の事を言っているのではない。

      二つ目がラトリューオー。動詞で新約では「礼拝する」以外に「仕える」「奉仕する」と訳されている。ラトリューオーは「雇われて労働を提供する」というのが一番最初の意味だった。すなわち賃金労働。それが後、変化してお金を貰わないで「奉仕する」そして「全生涯をささげる」⇒「神々を礼拝する」という意味に変化。七十人訳では常に神への奉仕という礼拝の意味でラトリューオーを使用。民や祭司がする時にも使う。これは儀式を行なう事による礼拝。旧約聖書の礼拝がこれ。
      この名詞がラトレイアで、「礼拝」「奉仕」と訳されている。
      ローマ12章1節(上記参照)
      この「礼拝」がラトレイアです。霊的な礼拝、すなわち日々の日常生活を神様に捧げなさい、という意味。これを「霊的な礼拝」と言っている。だから、2節
      この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良い事で、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(新改訳)

      あなたがたはこの世に倣(なら)ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
      (新共同訳)

      と勧める。旧約のさしている空しい儀式の礼拝ではなく、霊的な礼拝にしなさい。真に日常生活を神にささげなさい。こういう勧め、これが礼拝だ、というわけです。

      三つ目がレイトゥールゲオー。動詞で「礼拝する」「礼拝のつとめをなす」「奉仕する」と訳されている。この言葉の元々の意味は「自発的に国家に奉仕すること」ボランティアの意味。「奉仕」。レビ人のように、幕屋とか神殿で仕えた人の奉仕を言う。新約では旧約の祭司の職務とか使徒、教師や預言者の働きの「奉仕」の意味でも使用する。「神奉仕」すなわち神への奉仕です。名詞形がレイトゥールギア。「礼拝」「奉仕」「務め」と訳されている。レイトゥールゴスという名詞は「しもべ」「仕え人」と訳されている。
      神様への尊崇を表わす行動、「ひれ伏す」「拝む」と、儀式を行なう礼拝と神奉仕。私たちは日常生活において本当に霊的な礼拝と同時に神様をおそれる礼拝生活が必要です。また公同礼拝においては、神様を本当におそれつつ敬うと同時に神様への奉仕が大切です。


      2、礼拝の意味(新約における)

      広義には、イエス・キリストの救いのみわざを基礎として全生活を神様にささげる霊的礼拝をさす。霊も魂も体も信仰者の全存在をささげる事を礼拝と言います。これを「礼拝生活」と呼びます。瞬間瞬間が神様への礼拝です。
      狭義には公同礼拝をさします。イエス・キリストの救いのみわざを基礎として、イエス様の御名によって信仰者が集まり、説教と聖餐を中心に、神様を神様として拝む事です。共通している言葉は「イエス・キリストの救いのみわざを基礎として」です。
      次にイエス・キリストの御名によって集まる事が重要。それは「イエス様のお名前を使って」という意味ではないし手段でもない。だから「よって」と言わなければいけないのです。「よって」というのは「イエス・キリストを信じます」という意味と「イエス・キリストのお名前を通して」という意味なので「よって」なのです。英語で言えば、byではなくてinなのです。
      また説教(メッセージ)と聖餐を中心という事も重要。キリスト教も「拝む」のです。まことの神様を神様とするという事でこれを「拝む」と言います。礼拝の中で神様を神様としていないとは具体的にどんな事を言うかと言うと、主イエスをほめたたえない、主イエス様の力を認めない、説教にアーメンを言わない事などです。献金の問題もそうで、献金は心だと言いますが額も重要です。無意識にただ献金をささげる、「いくらでもいい」それは神様を神様としていないので礼拝ではない。

      3、ロヨラとバルトの言葉

      イグナティウス・ロヨラ(ロヨラのイグナティウスという意味)は「人間は主なる神をほめ、あがめ、仕える事を目的として造られた。人間の第一の義務はあがめる事である。第二はおそれである。そして第三がはじめて奉仕になる。」と言った。人間は主なる神に祝福を受ける為に造られたのではない。ほめ、あがめ、仕える、これを全部「礼拝」と言う。
      カール・バルトは「教会の礼拝は一次的に、またその根源という点からしても、またその本質から言っても、何よりもまず神のわざである。そしてその事に続いて第二次的に、偶発的に人間のわざであると言えるにすぎないのである。ここで人間のなすべき事、またなしうる事といえば、ただ『仕える』という事だけである。」
      教会の礼拝とはまず、神様のわざです。仕えるという事は「神奉仕」という事で、礼拝はまず神様のわざなのです。二千年前に起こった過去の事柄ではなく、今この現時点でここに集うこの時に神様のわざが現実のものとなるという、それが礼拝。神様のわざの時です。そのために人が出来る事はただ、ただ、仕える事。たとえば奏楽者なら奏楽を通して奉仕し、説教者はみことばを通して奉仕し、礼拝者も讃美をして奉仕します。ただ、ただ、みわざがある。これが本質。神様のみわざ、十字架のみわざ、復活のみわざ、今この瞬間に讃美を通し、献金を通し、祈りを通し、説教(メッセージ)をとおし、聖書朗読を通し、信仰告白を通し、すべてを通して神様が現実であるという事を表わすのが礼拝です。私たちが主体ではなく神様が主体なのです。礼拝に遅れてくるとか休むとかは神様のわざの否定につながるおそれがあります。
      礼拝の「礼」は「私はあなたに従っています」という服従を目に見える形で表わす意味です。「拝」は拝む事。尊敬をしぐさで表わしたもの。私達の神であり主であり支配者である方に対して私達は服従します。そしてその方に敬意を表わします。これが文字通りの「礼拝」です。


      お休みのお知らせ

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        いつも御覧下さり、まことに有り難う御座います。

        今回をもって、バイブルスタディーは終了する事になりました。

        またいつか、違ったかたちで再開したいと思います。

        それまで、このブログを今回を最後にしたいと思います。


        エレミヤ書(10)

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          いよいよ主のみことばが成就する時が来ます。エレミヤのことばを無視出来ないゼデキヤ王は、一方では高官達を恐れ、主のみことばに従う事が出来ません。危機が近付く中、信仰と恐怖との狭間に置かれた者の対応は、これから訪れる終末での私達の姿かもしれません。

          エレミヤ書37章:投獄されるエレミヤ(エレミヤの投獄、逮捕)
          エレミヤは主のみことばをゼデキヤに語る為、ユダの人々への憐れみによって彼のそばに幽閉された。そして主によって、エルサレム陥落まで養われる(21節)。
          17  ゼデキヤ王はみことばが気になるが、高官達を恐れてみことばに従えない。
              エレミヤは与えられたみことばを、周りに影響される事無くそのまま伝える。
              エレミヤとゼデキヤのみことばに対する態度の差。 詩篇119:29,30

          エレミヤ書38章:危機の中での信仰と恐怖(エレミヤ、穴に入れられる/水溜めに投げ込まれる、ゼデキヤ王との最後の会見)
          預言者⇒主のみことばを語る。主の選び。
          牧者⇒主のみことばを語る。主の選び→ヤコブ3:1
          5,19  ゼデキヤは高官達や民衆が一番恐ろしい。主が一番恐ろしいはず。
                目の前の事象を取り、信仰の道を選べない私達の姿。
          6,22  ゼデキヤに対する最後の主のことばは、
                  エレミヤの泥の中に沈むというジェスチャー付きのもの。
               にも係わらず、結局ゼデキヤは恐れによって信仰の道を選べなかった。

          エレミヤ書39章:預言の成就(エルサレム(の)陥落、エベド・メレクへの約束)
          この章は終末の型。その日が現実のものとなり、主の側に付いた者達と従わなかった者達の差がはっきりとする。
          14  主のことばは民の間に住まわれる。ヨハネ1:14
          16−  主の側に付いた者には、その日が来る前に告げられる。主の励ましと憐れみ。

          エレミヤ書40章:ゲダルヤの統治(バビロン軍とエレミヤ/エレミヤの釈放、ゲダルヤの働きと暗殺)
          6  エレミヤの最後の仕事が残っていた
             →ユダの人達に最後のメッセージを語る事の為に残った。
          7  ゲダルヤの一族は主の側(26:24,36:10)VS敵側の王族であるイシュマエル。


          エレミヤ書(9)

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            今回は遅刻してしまったので、前半の2章分は他の参加者のを書きます。

            エレミヤ書33章:ユダの回復とメシヤ(正義の若枝/エルサレムの復興)
            3  人の理解を超えた事を預言者は語る
               ⇒語る為にはそのことばを信じられる信仰が必要。
            10  エルサレムは廃虚の後に回復。
                私達も死と復活を体験しなければならない。十字架。
            24  民は主との契約を信じきる事が出来ず、
                二つの部族(イスラエル、ユダ)が再び一つとして復活する事を信じていない。
                ⇒目の前の思い(状況)で判断している。

            エレミヤ書34章:奴隷解放破棄とバビロン捕囚(ゼデキヤの解放宣言/ゼデキヤ王への警告、奴隷の解放)
            5  危機的状況にあって、選択(エレミヤの預言を採るか、取り巻きの意見を採るか)で迷うゼデキヤ。エレミヤのことばとバビロンの侵攻によって、奴隷解放の契約をしたにも係わらず、バビロン侵攻が停まるとその契約を破った為、主のことばも反対となる。主のもとでの契約の重みを感じていない。人と人との契約と軽く考えていた。

            エレミヤ書35章:レカブ人(の模範/レカブ人の忠誠)
            7  レカブ人への命令(言い伝え)は祝福の為。祝福の結果は19節。
            16  レカブ人は先祖からの言い伝えに聞き従った。
                ユダヤ人は主のことばに従えなかった。
                人の言い伝えの方が従い易いのか。

            エレミヤ書36章:焼かれた預言の巻物(書記バルク/預言の巻物)
            23  主を恐れる者達と、主に敵対するエホヤキムや家来達の態度が対照的。
            32  主のみことばには力があり、人は消し去る事は到底出来ない。
                ⇒消し去ろうとすると更に増えて戻って来る。


            エレミヤ書(9)−予習

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              34章から時代が再び前後しますが、特に主のみことばを聞いた時の人々の反応に注意して下さい。主のみことばに対する反応で、その人の運命が決まります。
              各章を読み、光が当たった部分に対して自分のコメントを書き込んで下さい。

              エレミヤ書33章:ユダの回復とメシヤ(正義の若枝/エルサレムの復興)
              3  殆んどの人は、主を呼ばず、耳障りの良い預言者などに行っていたと思われる。
                 →現代も同じ。
              5  この世の空中の支配者をはじめ、この世の者達やこの世と妥協しているクリスチャン
                 は、キリスト者には負ける。何故ならば、主の側に付いているから。
              18  (全焼の)生け贄→(いつも)全き献身しているだろうか?
              22  ダビデの子孫→イエス・キリスト
                  レビ人→私達クリスチャン→祭司
              26  当時の人達にとって、帰還は夢、幻の様な感じがしたであろう。

              エレミヤ書34章:奴隷解放破棄とバビロン捕囚(ゼデキヤの解放宣言/ゼデキヤ王への警告、奴隷の解放)
              9−11  士師記、アメリカの黒人奴隷解放など
              15,16  自分の利益、経済至上主義⇒不信仰、神を侮っている

              エレミヤ書35章:レカブ人(の模範/レカブ人の忠誠)
              レカブ人の先祖レカブの子ヨナダブの言い伝えを守るのと、律法を守っていない、
              イスラエル人=ユダの民衆が神の律法を守らないのと、その差、違いは何なのだろうか?

              エレミヤ書36章:焼かれた預言の巻物(書記バルク/預言の巻物)
              3,7  主が民に対する怒りと憤りの結果としての罰する事よりも、咎と罰を赦したい主。
              9  イザヤ58章(6節)  詩篇139:23,24
              14  ネリヤの子バルクは「付いて来なさい」と言われた時、怖くなかったのだろうか?
                  →拘束されるかもしれないとは思わなかったのだろうか。
                  主を信じていたので、それはなかったのだろうか。
              23,24  主を侮っている事に気付かない。
              25  彼等は悔い改めたのだろうか。
              26  エレミヤは閉じ込められているのに、主が隠される。
                  ⇒ペテロの解放 使徒12章


              エレミヤ書(8)

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                エレミヤ書29章:捕囚の民への(エレミヤの)手紙(エレミヤの手紙、シェマヤに対する審判)
                エレミヤをエジプトに連れて行ったグループなどはレムナントではない。
                4−7,10−14  バビロンでの繁栄を約束する預言。捕囚にあってから祝福の預言。
                            バビロンからの帰還の預言。
                            民が主のみことばに耳を傾けられる状況が出来たから。
                5,6  落ち着いて生活せよ。テサロニケ4:11,12
                8,9  偽預言者達はバビロン捕囚は無いと言っていたにもかかわらず、
                                               バビロンにおいても偽予言をしている
                     ⇒民衆の要望に応える偽預言者は必ず現われる。
                10−32  ガラテヤ6:7−9
                16−20  ローマ2:4,5
                24−32  ルカ10:16−22


                エレミヤ書30章:解放の預言(帰還の日の預言/回復の約束、ヤコブの災いと救い)
                29章まではユダの解放であったが、30:3,4では全イスラエル(12部族)の解放。
                7  その日。イスラエル人にとっては艱難が救いの日となる。
                   キリスト者にとっては訓練の場。それ以外の人々にとっては裁きとなる。
                18−  新契約の事も預言し出した。エルサレムに集められる。
                     この地にあっては寄留者。コリント5:1,2
                21  イエス・キリスト。
                22  新契約。
                23,24  終末。終末にあってイスラエル人達は主のみこころを悟る。ゼカリヤ12:10

                エレミヤ書31章:解放と新しい契約(主の永遠の愛と誠実/新しい契約)
                8  ユダヤ教からの解放→目の見えない者や足萎えは集えないので。
                22  新しい事→新契約

                エレミヤ書32章:アナトテの地の購入(エレミヤの畑の購入(エレミヤの拘留、アナトトの畑を買う、エレミヤの祈り)
                2,3  テモテ2:9
                9  (マタイ27:9) 主によるイエスの血による贖いの予表。
                16  エレミヤは主のみことばを実行した後に、その意味を主に訊いた。
                    先ず主のみことばを実行。
                44  約束の地の回復の預言。アナトテの地購入。イエスの血による贖いの理由。


                エレミヤ書(8)−予習

                0

                  バビロン捕囚後の預言です。主はユダ王国を滅ぼされ、イスラエルの民を散らされましたが、見棄てた訳ではありません。永遠の民の為に新しい契約が約束されているのです。
                  各章を読み、光が当たった部分に対して自分のコメントを書き込んで下さい。

                  エレミヤ書29章:捕囚の民への(エレミヤの)手紙(エレミヤの手紙、シェマヤに対する審判)
                  7  テモテ2:1−3
                  16−20  エレミヤなどの一部の真の預言者以外は、主のことばを聞こうとはしなかったの
                         で、さばきが与えられる以外になかった。これは、現代にも当てはまる。
                         主は預言者を通して何度も「主のことばを聞け」と言っているにも係わらず、聞こ
                         うとせず、また自分の都合の良い様に言葉に酔いしれている。
                         テモテ4:3,4  ヨハネ2:15−17
                  21−23  コラヤの子アハブと、マアセヤの子ゼデキヤは、最後まで主を侮って偽の預言を
                         止めなかった。そして裁きに遭う事を言われた。彼等は偽の預言だと知っていた
                         にも係わらず、主を見上げるのではなく、自分の名誉、栄光が欲しくて止められ
                         なかった事は、私達も気を付ける必要がある。
                         ⇒結局「自分」を如何に捨てる事が出来るかに尽きる。
                  31,32  主に対する反逆を唆(そそのか)す事はアハブやゼデキヤの様に、しかもネヘラム
                         人シェマヤだけでなくその子孫まで罰せられるのは、それだけ主の忌み嫌われ
                         る事。                     

                  エレミヤ書30章:解放の預言(帰還の日の預言/回復の約束、ヤコブの災いと救い)
                  11  主の憐れみ、恵み−選民の特権
                  16  ヤコブ・イスラエルの敵は主が獲物として与えて下さる。
                  18  第二神殿の建設予告
                  21  主を知らなければ、近付く為にいのちを賭ける者は居ない

                  エレミヤ書31章:解放と新しい契約(主の永遠の愛と誠実/新しい契約)
                  20  主の愛が迫ってくる箇所
                  (31−)35−37  主の定めは永遠に変わらない⇒ヘブル13:8
                              
                  エレミヤ書32章:アナトテの地の購入(エレミヤの畑の購入(エレミヤの拘留、アナトトの畑を買う、エレミヤの祈り)
                  33  教える者が教えても、聞いて懲らしめを受ける者は居ない
                      ⇒主はどれだけむなしさ、悲しみを覚えているのだろうか。
                      ⇒それでも主の計画がある事を覚えたい


                  エレミヤ書(7)

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                    エレミヤ書25章:バビロン捕囚(と諸国へ)の預言(神の僕ネブカドレツァル)
                    6  ユダの過ち:主以外のものを拝する。⇒わざわいを招く 29節
                    17  各国の使節に「怒りのぶどう酒」と言って飲ませたのか。
                    34  裁きは牧者から。 ペテロ4:17 裁きは神の家から。

                    エレミヤ書26章:エレミヤに対する迫害{エレミヤの後半生の事件(〜45章)、エレミヤの正しい預言とウリヤ/神殿におけるエレミヤの説教、預言者ウリヤの死}
                    2  主は礼拝に来る人々に告げられた⇒礼拝に行くが、主のみことばは聞いていない。
                    9,10  イエスが逮捕され、祭司・律法学者・民衆に裁かれているところと似ている。
                    14,15  エレミヤは運命を主に委ねた⇒主によって救われる。
                    21  主への信頼を貫けず、ウリヤは自分で自分を救おうとした⇒結果的に死を招く。
                    エレミヤとウリヤの姿勢が対照的。

                    エレミヤ書27章:バビロンに関する事(バビロンに仕えよ/くびきの預言)
                    9,10  大衆は偽預言者の耳障りの良い預(予)言を期待し、信じようとする。
                         また大衆は主の事ではなく、この世の事しか頭にない。
                    殆んどの人々は、エレミヤや主を信じられず、苦しむ(預言の)方を選ぶ事は出来ない。

                    エレミヤ書28章:ハナヌヤとの対決(ハナヌヤとエレミヤ/ハナンヤとの対決)
                    6−11  エレミヤの預言者としての態度が素晴らしい。
                    6  エレミヤも本音はバビロンから帰って来て欲しいと思っている。
                    8  多くの主の預言者は、戦いとわざわいと疫病を預言。
                    9  平安を預言する預言者は、そのことばが成就して初めて主の預言者だと分かる。
                    8,9  申命記18:20−22


                    エレミヤ書(7)―予習

                    0

                      エレミヤはバビロン捕囚の預言をし、それに対して迫害を受け、また偽預言者達と戦わなければならなくなります。現代にも通じる状況かもしれません。
                      各章を読み、光が当たった部分に対して、自分のコメントを書き込んで下さい。

                      エレミヤ書25章:バビロン捕囚(と諸国へ)の預言(神の僕ネブカドレツァル)
                      17  具体的にはどういう行動なのだろうか?→宣べ伝えたという事か?
                      29  罰を免れない―ヘブル10:28−31

                      エレミヤ書26章:エレミヤに対する迫害{エレミヤの後半生の事件(〜45章)、エレミヤの正しい預言とウリヤ/神殿におけるエレミヤの説教、預言者ウリヤの死}
                      3−7  ⇔ヨナ3章 後になればなる程、強情になり、心を固くする。
                      9,10  マタイ26:63−68 ルカ22:66−71 マルコ14:61−65
                      15  死ぬ覚悟は既に出来ていたのであろう 参考→30:21
                      21  ウリヤの恐れ→主を信頼していない事の現われ
                                               →結果、逃亡の果てに連れ戻され、処刑される。

                      エレミヤ書27章:バビロンに関する事(バビロンに仕えよ/くびきの預言)
                      5−15  マタイ22:2−14 ルカ14:16−24 
                            新エルサレムよりも仮りのリアリティーを求めている。
                      12,13,17  7:23 29:11  エゼキエル33:11

                      エレミヤ書28章:ハナヌヤ(ハナンヤ)との対決(ハナヌヤとエレミヤ)
                      列王記前22章 主の預言者ミカヤと偽(?)預言者ゼデキヤ(約250年前)
                            ゼデキヤとハナヌヤは本当に「主が語られた」と信じたのだろうか?
                                     おそらく、自分の希望、民の思いを代弁したに過ぎない。
                      8  本当の預言者は、戦いとわざわいと疫病を預言する。
                      9  平安を語る預言者は預言が成就して初めて主が遣わされた預言者だと知られる。
                      11  語り尽くしたのであれば、後は沈黙し、殊(こと)更に同じ事を繰り返し言う必要は無い。
                      14  野の獣まで与えた→文字通り総てをネブカドネザルの支配下にある。
                                                          (土地、自然、木々、鳥など)
                      17  ハナヌヤは悔い改めしなかったから、二ヶ月程度で死んだのであろう。


                      エレミヤ書(6)

                      0

                        エレミヤ書21章:ゼデキヤ王に対する預言(ユダ王家へのさばき/命の道と死の道)
                        1−7  サウル王とは異なり、ゼデキヤはエレミヤという神の預言者の所に行く。
                             主は応えて下さるが、裁きの宣告を受ける。
                             サウルとは異なりゼデキヤはダビデの子孫。
                        2  主は悔い改めを求めているが、
                              ゼデキヤをはじめとする指導者達は
                                                目に見える敵を退ける事のみ、主に期待している。
                        4−6  主は内部の腐敗に対する裁きを行なおうとしている。
                        8  民に対しては、いのちの道と死の道の二者択一を迫る。主の選択はいつも二者択一。
                           この場合、いのちの道でさえ、厳しい道となっている。
                           しかし、主導者達には裁きの道しか示されていない。
                           民にとっては、主導者達からの圧迫を選び滅びるか(内的圧迫)、
                                               カルデヤ人の圧迫の下に入るかの違い(外的圧迫)。
                        9  創世記2:16,17   ヨセフの時とは反対
                        12  既得権益を手放したくない。

                        エレミヤ書22章:ユダの王達に対する預言(王に対する警告/ユダ王に対する言葉)
                        3  裁きの主な理由の一つは、主の民に対して公義と正義を行なわなかった⇒内部の腐敗
                        10  生きている者に対し、執り成しをしろ⇒生きている者の神。
                        13−17  豪華に見せる事で王の権力を見せても無意味(キリスト教会も同じ)。
                        15,16  ソロモンにも当てはまる。
                        20−22  牧者によって追い立てられ、恋人(王族)は悪の道に行ってしまった。
                               恋人から女に呼び方が変わる。現代にも通じる。
                        23  エホヤキムの事(18節)。  黙示録の女。

                        エレミヤ書23章:真の牧者と偽預言者(偽預言者達への警告/ユダの回復、預言者に対する言葉)
                        5,6  イエスの受肉から再臨を預言する、遠大な計画を示す。
                        偽預言者の特徴
                        13  偶像を礼拝し、民を惑わせる。
                        14  姦通し、ウソを付き、悪者に加担し、民を悪から戻させない。まるでソドム、ゴモラ。
                        16  自分の心の幻を語る。
                        17  平安だと語る。
                        18  主の会議に連なっていない。
                        21  座らず、走り続ける。
                        22  主のことばを民に聞かせず、悔い改めさせない。
                        25−28  夢を語る。
                        29  火ではなく、金槌ではない。
                        30  主のことばが入っている。
                        31  自分の口で御告げを告げる。
                        32  偽りと自慢話。
                        33−38  「主の宣告」を使う。

                        エレミヤ書24章:二籠(かご)のいちじく(二種類のイチジク/良いいちじくと悪いいちじく)
                        7  心に書き付ける契約⇒新契約。 終末。


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